【実名インタビュー②】埼玉県庁からみずほ総研、そして独立へ 「天職と思えた中小企業支援を続けるには公務員では困難でした」

七田 亘(しちだ わたる)さん

七田総合研究所株式会社 代表取締役
中小企業診断士・社会保険労務士埼玉県庁にて中小企業の経営革新支援等の商工行政、人事行政などに従事し、企業の「行動」が伴う経営革新計画の策定支援の実績多数。その後、みずほ総合研究所株式会社のコンサルタントとして、主に企業の人事制度再構築、M&Aに係る人事制度統合コンサルティングに従事した後、開業。
中小企業の経営戦略策定から実行支援、中小企業施策活用、人事労務に関する問題解決のコンサルティングとセミナーを得意とする。

-本日は埼玉県庁からみずほ総研に転職し、その後独立されて現在に至る七田亘さんにお話を伺います。本日はお時間をいただき、ありがとうございます。
まずは、埼玉県庁に入庁された経緯を教えてください。
七田さん
私が埼玉県庁に入庁したのは1998年です。当時は就職氷河期で、民間企業の採用が非常に厳しい時期でした。私は文学部史学科出身だったのですが、当時の民間企業にはあまり求められない学科だったんです。
就職活動をしたとしても、ほとんど返事すらもらえず、いわゆる「文学部フィルター」にかかってしまいます。企業にエントリーシートを送っても無反応だったり、面接に進んでも「この学部で何ができるの?」という反応をされたりことが多い状況も見聞きしていました。

そんな中、公務員試験に目を向けると、試験の成績で公平に評価してもらえるのかなと思いました。「学部が不利になることなく、実力で勝負できる」という点に希望を感じ、公務員試験を受ける決断をし、結果的に、半年足らずの勉強期間でしたが、埼玉県庁の試験に合格することができました。

また、自己分析の結果、社会に貢献できる仕事をしたいなという思いに至りました。その意味でも公務員は自分に合っているなと考えました。

経済状況が厳しい、文学部フィルターがある、政策を作って社会に広く貢献したいという思いを実現したいという理由から公務員を目指し、結果として埼玉県庁に入りました。

-公務員として9年ちょっと仕事をされたわけですが、公務員時代の仕事はどのようなものでしたか。
七田さん
最初の配属は教育委員会で、県立学校の定時制工業高校の事務室でした。勤務時間も変則的で、昼に出勤して夜9時半ごろまで仕事をすることが多かったです。入庁前は知事部局での仕事を希望していたので、正直言って最初は戸惑いました。

-具体的にはどんな仕事をしたのですか。
七田さん
この仕事では、学校の運営に関わる事務が中心でした。授業料や給食費の徴収業務を担当することになり、未納の生徒や保護者、時には教員と厳しい交渉する場面が多くありました。
想像していた「公務員の仕事」とは大きく異なり、1年目から知事部局で活躍する同期と比べると出遅れていると感じて最初は戸惑いましたね。
しかし、いま思えばこうした交渉を通じて、コミュニケーション能力や対人折衝のスキルが鍛えられ、感謝しています。

また、学校事務からずっと異動しない先輩職員も多く、このまま何もしないと自分の公務員人生はずっと学校事務が続くかもしれないという危機感も感じました。

-その時代から将来に向けての努力を続けていらっしゃったのですよね。

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