【実名インタビュー①】57歳にして都庁からYahoo!JAPANへ「公務員時代の経験を活かして全国の役所に魂の公共営業」

※「役人廃業ドットコム」時代の掲載記事ですが、今でも参考になる熱い思いが込められたインタビュー記事です。

堀 博晴(ほり ひろはる)さん

東京都職員を経て、Yahoo!JAPANに転職。

1967年 東京都庁入職。

日本で初めてインターネット公売を導入し、その後は都庁を退職し、インターネット公売を日本全国に広めるためいわば「伝道師」として活躍。

ーそもそも都庁に入られた経緯は何だったのですか。
もともと大学に行くつもりでしたが、現役では受からず、親は一浪を認めてくれました。
再チャレンジの結果、中大の夜間部に進学することになりました。
一方で、経済的な事情もあり、都庁の採用試験(高卒対象)も念のため受けていたところ、こちらも受かっていたので、夜間部に通いながら仕事をすればいいかな、くらいの気持ちで公務員になりました。

-公務員時代のお仕事を簡単にお教えいただけますか。
入庁は1967年で、38年いました。
当時は23区も都庁で採用していたので最初は江戸川区役所に配属されました。
選管を5年、公害対策を2年やりました。
その後、小笠原諸島が米国から返還され、都が復興事業をやるというので自分から立候補して、小笠原と東京を行ったりきたりする生活を10年ほど送りました。
その後は本庁に戻り、同和対策4年、災害対策5年、そして管理職試験に受かって主税局に異動になりました。

―堀さんというと税務の印象が強いですが。
税務の仕事は最後の7年半ですよ。退職時は57歳でした。

―税の徴収部門の仕事は大変で、嫌がる人が多いといいます。

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